広告費を1万円増やすと、売上はいくら増えるのか——回帰線はその問いにどこまで答えているか
広告費を1万円増やすと、売上はいくら増えるのか
小売や外食のように店舗を多く持つ業態では、広告費と売上の関係が議題に上がることがあります。たとえば、「広告費を1万円増やすと、売上はいくら増えるのか」と聞かれたとしましょう。手元には、20店舗の2年分、週ごとの広告費と売上のデータがあります。店舗ごとに予算の枠があり、週によって多少の増減はあるものの、おおむね予算の枠に従って広告費が使われている、という状況です。
こういうとき、回帰分析を使うのが一般的です。広告費を横軸、売上を縦軸にとって点を打ち、いちばん当てはまりのよい直線を引く。この例では、直線の傾きは1万円あたり1.57万円、標準誤差は0.06と出ました。
「傾きが1.57なので、広告費を1万円増やせば売上は1.57万円増える。標準誤差も小さいので、この数字は信用してよい」と考えてよいでしょうか。
このシリーズでは、回帰分析の前提を1つずつ崩して、何が起きるかを見ていきます。この回ではその準備として、回帰分析が何を返してくる道具で、返してきた数字がどんな前提に寄りかかっているのかを整理します。
回帰線は何をする道具か
回帰分析は、ある変数(ここでは広告費)の値が決まったときに、別の変数(売上)が平均的にどのくらいになるかを、直線で要約する道具です。広告費が40万円の週の売上の平均、50万円の週の売上の平均、60万円の週の売上の平均を、1本の直線でまとめて表すと考えてください。直線の引き方や当てはまりの指標については単元「単回帰と予測」に譲り、ここでは「平均を直線で要約する」というところだけを持って進みます。
一方で、実務で回帰分析の結果を使うときは、図で直線を見るだけでなく、傾きや標準誤差といった数字も見て判断するのが一般的です。この回で整理したいのは、その数字の方です。その話に入る前に、まずは直線がきちんと働いている姿を見ておきましょう。
答えを知っている世界で、直線を引いてみる
このシリーズでは、現実のデータではなく、仮想のデータを使います。仮想のデータであれば、広告費と売上の「本当の関係」を知っているからです。現実の分析では、広告費が売上をどれだけ動かしているのかという答えは誰にも分かりません。答えを知っている世界で道具を試すことで、道具がどこまで正しく、どこから当てにならなくなるのかが見えてきます。
図1は、本当の関係を「広告費1万円あたり売上1.5万円」と決めて作った、20店舗×2年の仮想データです。この世界では、回帰分析が置いている前提がすべて成り立っています。

まず見てほしいのは、点のばらつきです。同じ広告費でも売上は週によって200万円近く違い、点は直線のまわりに広く散っています。次に、破線と実線を見てください。破線は本当の関係、実線はデータから引いた回帰線で、2本はほとんど重なっています。傾きは1.57と出ましたが、本当の値は1.5で、標準誤差0.06の範囲に収まっています。
このように、前提が成り立っている世界では、点がどれだけ散っていても、回帰線は本当の関係をほぼ言い当てます。以降の回では、この世界のどこかを1つずつ変えて、何が起きるかを見ていくことになります。
回帰が返す3つの数
回帰分析の結果として実務で使われる数は、だいたい3つに絞られます。1つ目は係数、つまり直線の傾きで、「広告費を1万円増やすと売上が1.57万円増える」という読み方をするのはこの数です。2つ目は標準誤差で、傾きがどのくらいブレうるかを表します。「有意かどうか」「95%の区間はどこからどこまでか」という判断は、この数から出てきます。3つ目は予測値で、「広告費を80万円にしたら売上はいくらになるか」のように、直線に値を当てはめて読む数です。
冒頭の「1万円増やすといくら増えるか」という問いは1つ目の数の話ですが、同じ回帰分析の結果から「来期の予算で売上はいくらになるか」を答えるなら、3つ目の数を使うことになります。どれも同じ1本の直線から出てくるので、まとめて「回帰の結果」と呼ばれるのが普通ですが、この3つは、使い方も、寄りかかっている前提も違う、別の数です。
3つの数は、それぞれ別の前提に寄りかかっている
3つの数が寄りかかっている前提を並べると、次のようになります。
| 使う数 | 寄りかかっている前提 | 前提が崩れたときに起きること |
|---|---|---|
| 係数(傾き) | 広告費を動かしているものが、売上を直接動かしていないこと。広告費が正しく記録されていること | 傾きの大きさが狂う。向きまで変わることもある |
| 標準誤差 | 週ごとのブレが互いに無関係で、どの店舗でも同じくらいであること | 傾きは合っているのに、標準誤差が小さく出て「有意」が出すぎる |
| 予測値 | 関係が直線であること。予測に使う広告費が、データにある範囲の内側にあること | データの範囲の内側では合うのに、外側に伸ばすと外れる |
前提が別だということは、1つが崩れても残りは正しいままでありうる、ということでもあります。たとえば、係数の前提が崩れていても、予測値はそれほど狂わないことがあります。広告費と売上の間に、広告の効果とは別の理由で関係があったとしても、その関係がこれからも続くなら、「広告費がこの値のとき売上はこのくらい」という予測は当たるからです。逆に、係数は正しくても、データの外側に直線を伸ばした予測は外れます。
では、何を確かめればよいのでしょうか。どの数を使うかで、確かめなければならない前提が変わります。3つの前提をすべて確かめようとすると実務では手が止まることがありますが、使う数を1つに決めれば、確かめる前提も1つか2つに絞れるはずです。
どこを1つ変えると、どの数が当てにならなくなるか
図1の世界は、前提がすべて成り立つように作ってあります。次の回からは、この世界のどこかを1つだけ変えて、3つの数のどれが当てにならなくなるかを見ていきます。
第2回では、年末商戦に合わせて広告予算を増やす、という店舗の行動を入れます。売上も年末に伸びるので、広告費と売上は一緒に動くことになり、このとき傾きは本当の値からずれます。第3回では、店舗ごとの事情を入れます。立地のよい店はどの週も売上が高く、そうでない店はどの週も低い。同じ店舗の週を並べたデータでは、標準誤差が小さく出ます。第4回では、広告の効果が逓減する世界にします。データの範囲では直線でよく当てはまるのに、「予算を倍にしたら」の予測は外れます。
いずれも変えるのは1か所で、当てにならなくなるのは3つの数のうち1つだけです。残りの2つは、おおむね正しいまま残ります。
数字を渡す前に
冒頭の問いに戻りましょう。「1万円増やすといくら増えるか」と聞かれて1.57という数字を渡す前に、聞き返しておきたいことが1つあります。その数字を、何に使うのか、です。来期の予算を10万円増やすかどうかの判断に使うなら係数の前提を、増やした場合の売上の見込みを出すなら予測値の前提を確かめることになり、見るべき場所が変わるからです。
回帰分析は、3つの数を一度に返してくれる便利な道具です。ただし、その3つがそれぞれ何に寄りかかっているかは、道具の側からは教えてくれません。次回から、1つずつ崩してみます。
計算編(コードと実験)は Zenn の記事にあります。